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松代 象山神社 [信州の景色]

さて昨年4月、白馬からの帰り道、Tomoさんにご案内いただき、松代の街を散策させていただきました。

象山神社。幕末の思想家・佐久間象山をまつった神社です。ちなみに「象山」はぞうざんと読みます。象山先生は長野県の県歌にも出てきます(笑)。私も小さいころ長野県におりましたから、県の歌はよく知っていますよ。
松代は象山先生といい、真田氏といい、大物を輩出する土地柄なんでしょうね。みどころ多数、ときまさに真田丸放映中で、平日なのに訪れる観光客も多数おりました。

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2016年4月松代(1) [信州の景色]

NHK大河ドラマ真田丸、いよいよクライマックスという様相です。

だからというわけではないのですが、4月、春山スキーを楽しんだ後、松代の街をTOMOさんのご案内で回ったときの様子をお届けします。松代はTOMOさんの地元。スキーだけでは味気ない。せっかく信州・松代を訪れたのだからとのご配慮で、松代のポイントをめぐることができました。TOMOさんのお住まいを訪れるのも一度二度ではないのですが、松代をゆっくり回ったことがなかったのです。この日は雨も上がり絶好の観光日和、多くの観光客が松代の街を回っておりました。

大英寺、真田信之の嫁、小松姫の菩提寺です。 小松姫(稲)は真田丸では吉田羊さんが演じています。
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瓦には六文銭ではなく、徳川の葵の紋。こだわりを感じます。
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   (注)リンク先のTOMOさんのページにトレーラの写真があります。今回はトレーラにも泊めていただき、なかなか貴重な経験ができました。


国道20号の終点は? [信州の景色]

連休明け、どしゃぶりでテンションが下がりますが、休むわけにもいかず合羽を着て出勤です。 

さて唐突ですが、国道20号線・甲州街道は、お江戸の桜田門が起点、さて終点はどこでしょう。甲州街道といっても、江戸期のそれは、江戸から甲斐の古府中(甲府)だったかもしれませんが、いまの甲州街道は鉄道の中央東線とほぼ同じ区間になっています。

答えは、長野県塩尻市高出(たかいで)。

余談ですが、塩尻は仕事の都合で一年ほど住んでいたことがあり、第二の・・いやいくつ目かわからないけど、心のふるさとといえる町です。
松本ほど大きくなく、ゆったりとした田園都市で、いつかまた住みたい街のひとつです。

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収穫前の田んぼ [信州の景色]

写真はフェイスブックにアップしたものと同じですが、今回の帰省で通った松本環状高家線からみた西南側の山の風景です。こんなさりげない田の風景が好きです。

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4月上旬の信州(3)  [信州の景色]

 記事のご紹介があちこち話が行ったり来たりで恐縮です。今年4月は2回信州に行って(帰省して)います。上旬は親戚の集まりで安曇野に。下旬は長野のtomoさんのご指導のもとでの白馬春山遊び、そして松代観光。昨年帰省できなかった分、今年は何度か帰省したいと思っています。
 
 今日の記事は4月上旬の松本・安曇野訪問の様子。松本駅前の宿に泊まり、美ヶ原温泉に入りにきたところ。美ヶ原温泉、地名でいうところの松本市里山辺地区は松本盆地の東の際にあり、松本盆地のかなたの西側の山々が見えます。今回入浴したのは前回ご紹介した美ヶ原温泉のホテル 翔峰のお風呂です。なかなかよいお風呂です。

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4月の信州(2) :双葉SAでの昼食・ほうとう [信州の景色]

前の記事と前後しますが、4月の信州(1)では、中央道を使ってクルマで信州方面に向かいました。朝早く東京を出ましたので、途中、甲府(中央道双葉サービスエリア)で休憩。ちょうど昼時でしたので、甲州の名物ほうとうをいただくことに。カボチャやサトイモなどの野菜などの具が多く入った味噌味のほうとうはなかなか食べごたえがあります。

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52歳から再開する山歩き(1) [信州の景色]

 タイトルをご覧になって、ん、どこかで見聞きしたことがあるような・・と思われた方はいらっしゃいますか。そうです、大胆にもこの本のタイトルをアレンジしてつけてみました。

本多勝一「五〇歳から再開した山歩き」朝日新聞社 1987年


 京大山岳部、探検部に属し、探検部時代にヒマラヤに入り、著書「知られざるヒマラヤ―奥ヒンズークシ探検記」を出版、その後ジャーナリズムの世界に身を投じた本多勝一氏の著書です。本の帯には「残された人生、やりたいことをやってやろう。」 この本の表紙の絵、挿絵は、本多氏がカルチャーセンターに1年間通って習得した絵画技法を駆使され、自ら登りながら描かれたもの。そして本多氏は、この五〇過ぎの登山再開に際して、"写生をしながら登ることにしよう"(同書 p.7)と、登山中の絵描きを自らに課すことを明言しています。なんたる余裕と申しましょうか、もしくは優雅さでしょうか。

 現代の私たちのように、山登りといえば、きまって弾丸登山で、風景の記録はデジカメというのとは、レベルが違いすぎて、比較するのもはばかられます。しかしながら、私も知命の齢を越えたことですし、また山歩きを通して、心身の健康を維持しようという動機自体は、本多氏と同じです。また、学生時代に本多氏の著書を片っ端から読み、それについて、ジャーナリズムをめざす知人たちと議論していたかつての一ファンとして、それらに免じて、このような妙なブログ記事のタイトルを使うことをお許しいただきたいと思っています。(笑)


 私の場合、ヒマラヤどころか、日本百名山の高いほうの山さえ、ほとんど登ったことがなく(注1)、しかも単独で、ぶらぶら気に入った山域をうろうろしていただけ(一部は自分のサイトに記録が残っています)なので、こんなタイトルをつけるのもどうかと思いましたが。本多氏の表現をお借りすると、こういうのを「シンゾウにも」というのでしょうね。

 ということで、私は51歳の冬にも、地元に戻ったとき、低山歩きを試みていますが、準備不足で敗退。実は、この山行の直前、雪山歩きに関して、松代のTomoさんがアドバイスを下さっていたのです。
 果たして、Tomoさんのおっしゃっていたとおりになりました。快晴で、風も穏やかと天候はよかったのですが、例年になく積雪が多かったために登山道を外して迷走すること二回、大幅な時間のロス。そのために山頂(注2)はおろか、メインの稜線にでたところで引き返さざるを得なかったのです。

 けっきょく、その後2015年の春先から仕事が殺人的に忙しくなったために、登山は中断せざるを得なくなりました。しかし、山に向かう気持ちが消えたわけではなく、仕事が一段落したところで、やはりここはTomoさんの教えをこうのが一番であろうと、今年4月上旬の水曜日、私は関越自動車道を長野方面に向かっていました。

 写真は関越自動車道の上里サービスエリア。練馬インターチェンジから約75km。関越道・上信越道方面にスキーに出かけるときなどにはよく立ち寄るサービスエリアでしょう。この日の関東地方は気温が20度を超え、私は、長袖のランニングシャツに短パン姿で運転していたのですが、あまりの暑さに、この上里の一つ手前のSAである、高坂サービスエリアで停車して、長袖シャツを脱ぎ、半袖のTシャツ一枚で乗車していました。もちろんエアコンを使っていますが、それでも暑い。

 ということで、私の場合は、再開する、と宣言はしてみたものの、かつての本多氏のように一月に一つ山を登ると決めたわけでもなんでもないのです。とりあえず自分自身を、「山登りモード」に変化させ、登山を再開してみたい。うまくいかなかった冬の低山歩きをうまくできるようになりたい。
今回、機をみてそれを実現させるための旅に出たわけです。

(注1) 富士山は山スキーのために何度か登っています。
(注2) そのときに登ろうとした美ヶ原は、王が頭、王が鼻という明確な山頂もありますが、どちらかというと上りきってしまうと、広々とした熔岩台地が広がっていて、その散策をするほうが楽しいと思っています。

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4月の信州(1) [信州の景色]

あすから3連休の方もいらっしゃるかと思います。私も今日、夕方近所の繁華街を歩いてみましたが、連休の谷間といった感じでやや閑散とした雰囲気でした。

さて、本文記事は、4月上旬に帰郷した際の様子。駅前の宿に泊まり、朝食の前に、ランニングシューズに履き替えて、薄川(すすきがわ)沿いに走ってみます。旅先で走ると、いつもより、調子よく走れたり、いつもよりも長い距離を苦もなく走れたりするのですが、あまりのんびりしていると、お腹を空かせた家族に「遅い!」と苦情を言われてしまうので、ほどほどにします(笑)。

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冬の三城(2) [信州の景色]

昨年の今頃、私は、種々の用件のため信州に帰省しました。そのとき、ついでに山に登ったというお話はしたような記憶があります。

http://azumino-kaku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-28

超詰め込み行程のため、行程が押せ押せとなって、山の上まで行けませんでした。まあ雪山の散歩としては楽しかったのですが、もう少しきちんと準備していけばよかったと思っています。

三城から美ヶ原(王ケ頭)を目指しました。一応冬の山の装備、かんじき(靴が埋もれないように靴に履かせる道具)などは用意していましたが、積雪量が想定を上回っていました。歩き始めて30分くらいの地点ですでにこの積雪。夏道がすっかり埋もれていてトレースを追っていくしかありません。そんな安易な姿勢ではダメなんですよね。それが原因で後々大きな失敗につながりそうになりました。(大事には至りませんでしたが)
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NBS(長野放送) 松本支局 [信州の景色]

 昨年末、JR松本駅前の宿に泊まったとき、窓から見えた景色。え、NBS(えぬびーえす)? そう、地元のTV局です。後ろの左手の山は市街北側の山。城山(じょうやま)とか、蟻が崎、岡田のほうの高台。ちなみにドラマ「白線流し」(フジ系列)の登場人物、優介 (柏原崇さんが演じている優等生で、京都大学に現役で進学。卒業して東京で弁護士に。でも思いを寄せていた園子には結局ふられてしまう・・注)の高台の自宅(高校時代に住んでいた)はこの方面でしょう。

NBSは長野放送(Nagano Broadcasting Systems)、フジテレビ系列の民放TV局です。本社は長野市の中御所(なかごしょ)にあります。中御所は地図でごらん頂くとわかりますが長野駅の北口。国道19号線(長野と名古屋を結ぶ)沿いに県庁、地銀(八十二銀行)の本店、そしてこのNBSの本社などもあります。ちょっとした官庁街といっても差し支えないでしょう。私が大学生のとき、信州の地元紙(新聞)の入社試験を受けたことがありますが、そのときの会場もこの中御所のJAか何かのホールだったように記憶しています。(マスコミ企業の受験対策をしていなかったので受かりませんでした。だいたいが後から聞いた話では縁故でほぼ決まるとかで、入社試験の筆記試験自体が、一種の儀礼的なもの(選抜試験ではなく)と聞いたこともあります。たしかに、座席自体が別枠になっている受験者がいて、いったいあいつらは何者なのだといぶかしくおもっていましたが、要はそういうことです。地方ならさもありなんと、今なら思いますが、当時はずいぶん理不尽なものを感じたものです。ちなみに私の周囲の知人は早稲田周辺のマスコミ関係の予備校に通ったりしてしっかり対策していましたから、地元紙どころか、中央の一流どころにしっかり就職を決めていました。彼らはその後どうしているのやら・・)

これまた、よた話で恐縮ですが、私(昭和30年代生まれ)が地元の保育園に通っていた頃(昭和40年ころ)、TVに映るのはNHK総合、NHK教育、それから信越放送(TBS系)の三つのチャンネル(周波数帯がVHF帯)のみでした。
当時のテレビ受像機は、VHFのチャンネルがロータリースイッチになっていて、ガチャガチャと1から12までまわすタイプで、ディスプレイは白黒ブラウン管のものです。
つまり長野県民は、民放は1チャンネルのみ。ウルトラマンは見れるけど、サザエさんは見れない・・のような感じです。
そこにこのNBSが颯爽と?登場してでてきたわけです。
先進的な?家庭では、UHF帯用のアンテナ(いわゆる地デジ用と同じ、魚の骨のような形状のもの)と、UHFコンバーターなるものを購入して、既存のVHFテレビでこのNBSを見るというのが一つの流行というのか、おしゃれな?行動としてもてはやされていたようなことがありました。「お前の家のTV、NBS映るの?」「いいなぁ」というような感じで。

時代は移り、信州のなかでも日テレ系(テレビ信州)、朝日放送系(長野朝日)が続々開局して、在京TV局で映らないのは日経系(テレ東・12チャン)のみとなりました。つまり東京と信州の情報格差は、TVのチャンネル数という観点からは、ほぼないと言って差し支えない状況になっています。
だいたいが、今はBSだのCSだのブロードバンドだの、県境に関係なく受信できる仕組みが普及していますし、そもそも地上波テレビ放送自体のメディアとしての存在感に疑問を持つ人も少なくないわけで、そういう意味では、田舎にいても、都会にいても、情報量としては変わらないから、都会での暮らしを捨てて田舎に移住するという人も少なくないように聞きます。

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(注) 社会人になった優介と園子が、フレンチレストランでワインをかたわらに会食している(おそらく真剣にお付き合いしましょう・・のような話だったと記憶します・・)シーンがありますが、そのレストラン(ベルリヴィエール)は、私もよく通いました。今はもう亡くなりましたが私の親戚が大好きで会食というとそこになるわけで・・。別に市内にそこにしかレストランがないわけではないのですが、薄川(すすきがわ)沿いの雰囲気のあるレストランといえばそこをおいてほかにないというのは私でも分かります。(ちなみに、今のお店は千鹿頭<ちかとう>神社の近くに移り、店のエクステリア/インテリアも南欧風のたたずまいになっています。)
そのドラマのロケ(1995-1996年頃)のとき、出演者の俳優(女優)が、撮影現場の外でどういう行動をとっていたとかいう話はいまだに地元では語り草になっているようです。小さいコミュニティですので、悪いことはできません(笑)。よくもわるくも小さい街です。ちなみに、私はそういうスモール・コミュニティは大好きです。


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