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再録:2014年10月・香港へ(2) [海外の旅]

香港への旅。
当時のブログには、出張の様子を極力あたりさわりのないように書いています。今改めて読むと書きたいことを書けないもどかしさが伝わってきます。
当時披露できなかった、今なら話せるエピソードって何だろう(笑)。さすがに何でも書くというわけにはいかないでしょう。しかし、すでに当時の仕事から今は離れているわけです。当時は下手に目立つとまずい、と考えましたが、今はそんな気遣いも無用。その点気楽に書けるはずです。


さて、こんなタグをかばんにつけ、12年ぶりの香港に向かった私。
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出発の日。夕方のキャセイパシフィック、羽田発香港行きの予約をしていた私は、いったんいつもの職場に向かい、通常の仕事は14時くらいで切り上げ、羽田の国際線ターミナルに向かいます。キャセイにした理由は、たしか羽田・香港間の便数が豊富だったから。手元の旅行ノートには「キャセイのカウンターでチェックイン時にボーディングパスをもらっていなかったのは失敗、もらっておくべき」とあります。

その当時の羽田の国際線ターミナルは、規模の割りにまだ稼働率が低い感じで、保安検査場もすいています。税関も申告品がなければそのままスルーできます。モノレールの改札を出てから、搭乗口までのストレスが非常に少ないと感じました。免税店でみた日本のウイスキーが安くて思わず何本か買いたくなりましたが、荷物が重くなるのでやめておきました。2泊だったので、ガーメントバッグ(スーツなどを入れるかばん)とブリーフケースのみ。荷物は増やしたくなかったのです。成田まで行く思いをすれば、羽田は比較的都心から近いですし、空いているしで、楽な印象です。

搭乗開始までしばらく時間があったので、PC用のスペースに陣取り、PCを起動して、フリーのWIFIに接続し、香港の知人にSNSでコンタクトをはかる。キャセイの549便で予定通り羽田を発つとメッセージを送ります。時代は変わったと実感します。

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PCの操作に熱中して搭乗開始のアナウンスに気づかず、やや遅れてエコノミークラスに乗り込むと、席はすでに中国人観光客の方々や日本のビジネスマンたちで満員。自分の席はどこだろうと探さないといけないくらい。

4時間ほどのフライトで、香港国際空港に着きます。ここで失敗。本来出口Bに出るべきなのに、なぜか出口Aに出てしまった。いるはずの知人がいないのではて、困りました。

どうしようか。そうだ、着陸してから電源を入れた携帯電話が、現地回線を拾ってローミングでつながっているのを思い出します。そこで迷わず知人に電話。

「Aさん、いまスターバックスの前にいるんだけど・・どうすればいい?」
「Hさん、それは反対の出口だよ!、そこから動かないで! 今行くから!」

あああ・・どこが旅慣れているんだか。

実はこの知人を誘って宿の近くで飲みに行こうと思っていたのですが、知人は明日仕事なんだから早くチェックインして寝たほうがいいと言います。たしかにねえ、そうかも。

久々に積もる話もあったんですが、それは宿までの道すがらでそそくさとすませ、おそらく8年ぶりくらいで再会した知人とはそこで別れました。

「Hさん(私のこと)、君はホントはITではなくて、別の仕事のほうが君には向いていると思う」、とかさりげなく言うわけです。そのときは私は知人がなぜそんなことをいうのか理解できずに聞き流していました。気にはなっていたけれど、出張のどさくさにまぎれて忘れかけていました。ただ、思い出すたびになぜそんなことを言ったのか、気にはなっていました。

そのとき、私としては、ようやく香港に仕事で来れるようになったと得意げに話していたのです。しかし、知人はすでに私の行く末を見通していたらしく、ちょっと表情が暗かったように思います。

つまり、知人は私の話を聞き、そのときすでに勝ち目のない戦いの渦中に私がいること、私の立場が危ういものであることを見抜いていたのではないでしょうか。
さもなければ、久々の再会を祝して軽くビールで乾杯!くらいつきあってくれたはずです。そうせずに、私をホテル行きのシャトルバスに押し込み、運転手に
「この、日本からきた友人をよろしくね!」
と広東語で挨拶して立ち去った知人の慧眼には、恐れ入るほかありません。
知人とはそれきり会っていませんが、今度こそ久々にあって当時のことを聞いてみたいです。Custome.jpg


再録:2014年10月・香港へ(1) [海外の旅]

以前の写真ストックを見直していて、見直しの出発点はどこだろうと考えて、あ、ここだと気がつきました。
もう二年以上前のことになりますが、2014年の10月下旬。私は仕事で香港へ向かいました。仕事で香港を訪れるのは二回目。最初はたしか2003年。そのころから比べれば自分自身の英語運用能力はおそらく上がりましたが、仕事の内容の難易度も比較にならないくらいにあがっています。
2003年はエンジニアとして。
2014年は外資系企業の日本のITオペレーションのまとめ役として。
1エンジニアと、国内組織のIT部門の責任者では責任の重さが段違いに違います。でも、それなりに経験を積んできているから、大丈夫、そう思っていました。
ところが、いまにして思えば、それが大きな勘違いの始まりでした。
後々大きな問題になるローカルマネジメントとの意思疎通の問題も、今にして思えばこのときが出発点かもしれません。
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しかし、私は無邪気にも、そのときはそんなことはこれっぽっちも考えていませんでした。もちろん、責任の重さは感じてはいましたが、久々の海外出張を楽しんでやろうと、自分のプレゼンを準備して意気揚々と10年ぶりの香港に乗り込みました。
なんて能天気なんでしょう(笑)。

私も、ITのバブル崩壊前は、アジア、米国本土や欧州方面に何度も仕事で行っておりますので、別に海外出張だからと無用の緊張をするということもない。任せておいてくださいと(笑)。

はたから見たらその自信たっぷりの態度が傲慢さに見えたのかもしれません。
でも私はこの日のためにずっと英語の演習をしてきたし、仕事の経験も積んできた。
今でしょ!今行かなくていつ行くの!と思っていました。

ただ、このときは、私でなくても、おそらく誰しもが勘違いしてしまうような演出があったように思います。
あえて詳細はここではしるしませんが(笑)。

この出張旅行は当時のブログ記事ですでにご紹介ずみです。ただ今回は、当時、職場に配慮して出せなかった画像やエピソードも、可能な限りご紹介したいと思っています。
三年後たった今のほうがリアリティのある記述ができそうな気がします。


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シルトホルン [海外の旅]

1991年 スイスの旅、つづきです。
シルトホルンでしょうか。
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それにしても、どこで撮った写真だか判らないっていうのは困りますね・・連休の間に少し、どこをいつ周ったか、調べなおしてみようかと思います。


グリンデルワルド 1991 [海外の旅]


え!? 世間は 「黄金週間」 なんですか。成田が出国ラッシュだそうで。

おらには関係ないです(笑)。 トシのせいか、込んでるときに出かける気力がないです・・(苦笑)



で、今日は朝からはっきりしない天気。昼過ぎから雨が降ってきたので近所に買い物に出かけるのさえやめてしまい、昔のネガの整理など始めました。



1991年9月、生まれて初めて海外に行ったときの写真が出てきましたよ。

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「スイス連邦ベルン州グリンデルワルト村」 は安曇村(長野県南安曇郡)の姉妹都市(現、松本市)でしたね。

主たる目的は「スイス鉄道の旅」。 せっかくなので山歩きもちょっとだけやりました。

「プフィンクシュテークからグリンデルワルドに歩いて戻る」とメモがあります。

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登山のザックに荷物を詰めてスイスレールパスを持ち、時刻表とにらめっこしながらの旅です。



Interlaken Ost (インターラーケン東)の駅舎。

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メモが散逸して、どこだか判りませんが、どこかの山のオープンカフェ です(笑)



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これ、工場じゃありません(笑)滝です。



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どこの滝でしょうかね・・地図とかガイド本の類、みな処分してしまってどこだか判りません・・^^;



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あ、ネガシートに「トュリュメルバッハの滝」とありました・・・^^;



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PTTバス



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どこの駅でしょう・・判らん・・^^;

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グリンデルワルド(かな?)の宿と、商店街。

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